2010年



ーーー11/2ーーー 展示会のこもの 


 間近に迫った茜浜ホールでの展示会に向けて、前々回に紹介した「根付」に加え、こものが続々と出来上がっている。

 一枚目の画像は、ミニサイズの「おかもち」。

 展示会の準備会合で、支援者から、食卓でつかう調味料入れを作ったらどうかとのアドバイスがあった。

 それに相応しい品物になったかどうかは疑問だが、家人からの指摘で、用途を広げて考えた。身の回りの、日常的に使う小道具を入れる、あるいは別の部屋へ移動する。ケータイ、時計、メガネなど、外出の際に使うもの。筆記具、拡大鏡、電卓など、家の中で使う「無くしやすいもの」。あるいは、読みかけの本、買ったばかりのCDなど、ちょっと気を入れている品物。

 そういうものを入れて、置き場所が確認できる容器。上に物が重ならない構造を持ったトレイ。古くは、煙草盆などに見られた形である。


 箱本体を組手で作り、底にはムクの板を入れた。取っ手も組手で組んだから、華奢に見えても丈夫である。材種は、カバ、クリ、クルミの三つを揃えた。

 







 次は、カッティング・ボード。食卓で使うまな板である。

 大きいものはピザを丸ごと載せられるサイズ。小さいものは、チーズなどを切るのに使うと便利。自宅でしょっちゅう使っているアイテムである。

 テーブルなどを作る材木と同じ板から木取っているので、厚みがある。無理に薄くする必要もないと思い、そのままの厚みにしてあるが、これがまた良い。独特の存在感がある。また、狂いも生じにくい。

 形も、ちょっと工夫をすると、楽しい雰囲気が生まれる。

 これらの品物は、刃物を傷めないように、サンド・ペーパーを掛けてない。つまり、全ての部分が、刃物の加工で終えてある。サンド・ペーパーの手間は省けるが、逆に誤魔化すことができないので、加工には神経を使う。









 タイルがはめ込んであるものは新機軸。パンを切るためのカッティング・ボード。

 パン切り包丁は、ノコギリのようにギザギザな刃が付いているので、木のまな板だと表面が削れてボロボロになってしまう。そう教えてくれた友人は、自分で焼いたパンを、30センチ四方の大理石のまな板の上で切っているそうだ。その原理を応用して、カッティングボードにタイルを入れることを提案された。

 ネットで調べたら、世の中にそういうものがいろいろあった.。しかし、今回作ったものは、タイルが横にずれていて、木の面を大きくしてあるのが特徴。この形なら、長いパンでも扱いやすかろう。

 










ーーー11/9ーーー 展示会出発前夜


 茜浜の展示会が迫った。明朝3時に、展示品を乗せた軽トラで自宅を発つ。そして午前11時から開催となる。今週の後半は、まさに年に一度の大イベントである。

 今年で三回目だが、だんだん大掛かりになってくる。これほど大規模で、しかも気合の入った展示会は、過去に無い。それも、支援してくれる人たちの好意と努力のたまものである。多くの人たちが、自発的に協力をしてくれ、励ましてくれ、尻を叩いてくれた。彼らの気持ちに応えなければと思うにつれ、私自身もいつになく熱が入った。

 不景気の影響で、この業種も非常に厳しく、寒々とした話題しか聞こえてこない。しかし、私には、この展示会が、明るく、暖かく待ち受けている。きっと色々な面で、大きな成果があるだろう。その予感が当たることを、私は疑っていない。登山家が、素晴らしい仲間に支えられて、登頂を確信するように。



ーーー11/16ーーー 展示会を終えて


 茜浜の展示会が終わった。3回目となる今年は、昨年の異例とも言える好成績を意識して、私の気合は十分であった。しかし、蓋を開けて
みれば、いささか来場者が少なかった。それには、世の中の不景気とか、いろいろな理由があるだろう。こういうことは、なかなか思い通りにはなら
ないものである。反省材料として検討をするのは当然だが、結果を恨んでも仕方ない。

 来場者が少なくて、ビジネス面での成果が心配されたが、結果的には最後で持ち直して、満足が行くものになった。ホッと胸をなで下ろしたと
いう感じである。それもこれも、自発的な協力を惜しまなかった、サポート・メンバーの力添えによるものだった。私は、そのような方々に囲まれて
いることを、ほんとうに幸せだと思い、また有り難いことだと感謝している。

 創作を生業とする者にとって、展示会というのは一大イベントである。そこで売上目標を達成するということは、もちろん大切なことである。その
一方で、物販だけを目的としたイベントとは違う意味での重要さがある。それは何かと言うと、人との出会いで得られる心の交流とか、共感といった、
精神的なものである。そういうことが新たな活動の原動力になる。創作に伴う孤独感、押し寄せる不安感を払拭するのは、真摯に見つめてくれる
人たちの評価であり、励ましであり、諭しである。

 生活がかかっていることだから、真剣に取り組むのは当然である。しかし、支援してくれる人たちとチームを組んで、活動を展開するのは、ある意味
で遊びのような、ワクワクとする楽しさがある。この楽しさは、生命をかけるという、最も真剣な行為でありながら、楽しさを追求する目的で行われる、
登山という名の遊びに似ている。























                   























ーーー11/23−−− リネン


 このところ、家内がリネン(麻布)に凝っている。以前から気になっていたそうだが、これまでは手を付ける時間が無かった。この9月にパートを辞めてから自由時間が増え、願いがかなったというわけだ。先日の展示会でも、隅の方に家内のコーナーを設け、リネンで作ったタオル、ハンカチ、ポーチやバッグなどを販売した。

私はこういう方面の知識が無かったが、リネンには優れた性質があるらしい。

1.吸水性が高い(コットンの約4倍)

2.乾きが早い(雑菌などの繁殖が抑えられる)

3.汚れが落ちやすい

4.繊維が強く、長持ちする

5.ケバが立ちにくい(捩れの無い繊維なので)


 これらの性質を、端的に実感するには、洗ったグラスを拭いてみると良い。ワイングラスなどを、洗剤で洗い、水で流した後、木綿の布巾で拭くと、水気は取れても、細かいケバが付いてしまう。それが嫌なので、我が家ではこれまで、グラスを伏せて、自然に乾燥させていた。ところが、リネンの布巾で拭くと、ケバが付かない。そして、磨いたように綺麗になる。それに気が付いてから調べてみたら、バーテンがグラスを拭くのに使った布は、伝統的にリネンだったそうである。

 丈夫なのは間違いない。大航海時代の帆船の帆は、リネンで作られていた。と言うか、リネン製の帆によって、大航海が可能になったらしい。丈夫で、腐食しにくい性質が生かされたのである。

 リネンは、布巾、タオル、ハンカチを始めとして、服やシーツまで様々なものに使われるそうだが、このたびは布巾、ハンカチ、タオルなどで試してみた。木綿や化繊に慣れた身には、多少ごわごわした感じがある。そのごわごわ感は、リネンの品質によって差がある。それはいずれにしろ、使い込んでいくうちにこなれてくるらしい。

 タオルにしろ、ハンカチにしろ、とにかく吸水性が良い。そんなハンカチを、作業のジャージのポケットに入れてたら、そちら側だけ暖かく感じるようになった。保温性もあるようだ。そこで、スカーフを作った。スカーフと言っても、首タオルの代わりに使うものである。

 話は脱線するが、首タオルというのは、馬鹿にできないものである。この道(木工業)に入った当時は、首タオルなどダサくて嫌だと思っていたが、ある時同業者から、風邪気味の時は首タオルをすると良いと教えられた。それを実行したら、たしかに引きかけた風邪が直ったのである。私はここ10年以上に渡り風邪を引いてないが、それには首タオルが大いに貢献していると思う。

 夏場はさておき、その他のシーズンは、作業中に首タオルをしている。首を冷やさないためである。ただ、タオルは太過ぎるものが多く、そういうものは使い心地に難がある。かと言って、和手ぬぐいでは細すぎる。リネンを適当な幅と長さに作れば、具合が良いだろう。というわけで、最近は自家製のリネン・スカーフを首に巻いている。作業の時だけでなく、外出の際に使っておかしくない。これはおそらく、夏山登山の時にも役に立つだろう。

 リネンは、木綿や化繊と比べて、素材の価格が高い。それ故に、家庭で使われているケースは少ないのではなかろうか。しかし、高いと言っても、たかが知れている。こういう優れた素材を、上手く活用すれば、生活の楽しさが増すというものだ。



ーーー11/30−−− みずならの会


 先週末に、尾崎喜八研究会のイベント「みずならの会」があった。年に一度の泊りがけの親睦会で、今年で21回目になる。私は会員登録をした記憶はないが、2002年の夏に尾崎栄子さん(喜八氏のご息女)とお会いしたことがきっかけで、案内が届くようになった。今回の参加は、以前乗鞍で参加したとき以来、私にとって二度目となる。

 私が初めて詩人尾崎喜八の作品に触れたのは、高校生の頃、角川書店の「山の詩集」に載っていた詩であった。


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「峠」


下のほうで霧を吐いている暗い原始林に

かすかな鷽や目細の声、

しかしいよいよ心臓の試みられる登りにかかれば、

長いさるおがせをなびかせて

しろじろと立ち枯れしている樹々の骸骨を

高峻の夏の朝日が薄赤く染めていた。



澎湃とうちかえす緑の波をぬきんでて

みぎは根石・天狗の断崖のつらなり、

ひだりは見上げるような硫黄岳の

凄惨の美をつくした爆裂火口。

登る心は孤独に澄み、

こうこうとみなぎる寂寞が

むしろこの世ならぬ妙音を振り鳴らす

透明な、巨大な玉だった。



頂上ちかい岩のはざまの銀のしたたり、

千島桔梗のサファイアの莟、

高山の嬉々たる族よ・・・

風は諏訪と佐久との西東から

遠い人生の哀歓を吹き上げて

まっさおな峠の空で合掌していた。





(注:原本に書かれているふりがな) 鷽=うそ、目細=めぼそ、澎湃=ほうはい、莟=つぼみ、佐久=さく、西東=にしひがし

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 山好きの人なら、瞬間的に分かると思うが、八ヶ岳の夏沢峠を舞台にした詩である。何という臨場感、リアリティー、そして豊かな精神世界だろうか。特に最後の三行は、いつ口にしても、目の前にかの情景が展開し、雄大で永遠的な気持ちにさせられる。

 この詩集には多くの素晴らしい詩が収められているが、中でもこの詩は最も印象深く、記憶に残るものであった。

 さて、今回の「みずならの会」。二泊三日の日程で北鎌倉に入り、墓参、尾崎家の訪問、氏が通った鎌倉の山路の散策、そして氏を偲ぶトークショーなど、充実した内容であった。その内容については、ここでは触れないが、一つ印象に残った事があった。

 それは、尾崎喜八研究会の雰囲気である。

 会員の年齢層が高いのは、やむを得ないことだと思うが、それにしても皆さんとても穏やかなジェントルマンである。こういう趣旨の集まりというものは、お高く留まっていて、権威主義的、排他的な雰囲気があるように想像する。そんな集団であれば、私のような文学の知識に乏しい者が混じり込めば、居場所が無いように感じ、寂しい思いがするだろう。ところが、この会には、そういうところが一切無い。

 皆さんそれぞれ、根っからの文学青年だったのだろうが、そういう気負いは少しも見られない。教養を競い合ったり、無学な者を馬鹿にしたりもしない。ごく普通な感じの、自然体である。傍目には、どういう人たちの集まりなのか、分からないくらいだろう。

 それが、専門的な話題が持ち上がったり、貴重な資料を前にしたり、宴会で酒が入ったりすると、どなたも急激に深い世界に入り込んでいく。含蓄、薀蓄のボリュームが凄くて、とても付いて行けない。別の言語で会話をしているような錯覚を覚えるくらいだ。そういう時の私は、自らの教養の無さを恥じ、孤独な気持にもなる。しかしそれは、不快感ではない。むしろ、大きな世界をのぞき見させてもらったような刺激がある。

 尾崎喜八の文学と言えば、山(自然)と音楽が切り離せない。この会のメンバーも、やはり登山を趣味にしていたり、音楽を愛好する人が多い。そういう共通項で結ばれた人たちが持つ雰囲気というものが、上に述べた穏やかさと自然体なのだろう。
 
 このように気持ちの良い人々が集い、楽しい出会いがあるというのも、詩人尾崎喜八の人間性と感性が、没後数十年を経ても変わらず人々を結びつける、お導きではあるまいか。












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